「持つ」から「利用」へ:シェアリングエコノミーと現代思想が探る価値観の変容
はじめに:共有されるモノと変容する価値
インターネットとデジタル技術の発展は、私たちの生活の様々な側面に変化をもたらしています。その中でも、近年急速に普及している「シェアリングエコノミー」は、単なる経済活動の新しい形態にとどまらず、私たちがモノやサービスに対して抱く価値観、さらには自己や他者との関係性にも深い影響を与えつつあります。自動車、住居、衣服、さらにはスキルや時間といった無形のものまでが共有され、多くの人が「所有すること」から「利用すること」へと関心の重心を移しつつあるように見えます。
この現象は、現代社会が長らく前提としてきた「所有」や「消費」の構造を問い直すものであり、現代思想の視点から深く考察する価値があります。なぜ私たちはモノを所有したいと願うのか。利用することにどのような価値を見出すのか。そして、この変化は私たちの社会や未来にどのような可能性と課題をもたらすのでしょうか。ここでは、シェアリングエコノミーという現象を手がかりに、現代思想が示す知見を通して、変わりゆく価値観の輪郭を探ります。
シェアリングエコノミーの拡大とその背景
シェアリングエコノミーとは、インターネット上のプラットフォームを介して、個人や企業が持つ遊休資産(モノ、空間、時間、スキルなど)を他者と共有・交換する経済活動を指します。カーシェアリング、民泊、レンタルオフィス、スキルシェアサービスなど、様々な形態が存在します。
この普及の背景にはいくつかの要因が考えられます。一つは、スマートフォンの普及や位置情報システムの発達といった技術的基盤の整備です。これにより、個人間のマッチングや決済が容易になり、手軽にサービスを利用・提供できるようになりました。また、経済的な不確実性の高まりや、モノを持ちすぎないライフスタイルへの志向、環境問題への意識向上なども、所有から利用へのシフトを後押ししています。特に若い世代において、自動車や住宅といった高価な資産を必ずしも所有せず、必要に応じて利用するという価値観が広まっていると指摘されています。
現代思想から見る「所有」と「利用」
現代思想は、私たちが当然と思っている「所有」や「消費」といった概念に問いを投げかけてきました。例えば、ボードリヤールは『消費社会の神話と構造』などで、近代社会における消費が単なるモノの機能的価値の享受ではなく、社会的な記号としてのモノの価値を巡る営みであると論じました。私たちはモノそのものだけでなく、それが示すステータスやイメージを消費しているという視点です。
シェアリングエコノミーの文脈で考えると、モノの「記号的価値」への関心が相対的に薄れ、「利用価値」や「経験価値」が重視されるようになっているとも解釈できます。高価なモノを所有せずとも、必要に応じてアクセスし、サービスや体験を得ることができれば、それで十分だという考え方です。これは、ボードリヤールが論じたような記号消費社会から、より流動的で、所有よりも利用やアクセスを重視する社会への移行を示唆しているのかもしれません。
また、ジョルジュ・バタイユのような思想家は、「贈与の理論」において、経済活動を単なる交換や蓄積だけでなく、「浪費」や「贈与」といった非生産的な側面からも捉え直しました。シェアリングエコノミーにおける「共有」や「貸し借り」は、近代経済学の合理性だけでは捉えきれない、新たな形の「贈与」や「共同体」の萌芽を含んでいる可能性も考えられます。単なる金銭的な交換を超えた、利用者同士、提供者と利用者間のゆるやかな連帯や信頼関係が生まれる余地もあるのではないでしょうか。
変容する自己と共同性
シェアリングエコノミーは、私たちの「自己」のあり方にも影響を与えます。モノを所有することは、自己のアイデンティティを確立する一つの手段でもありました。しかし、モノへの執着が薄れ、利用や経験に価値を見出すようになると、自己のアイデンティティはモノではなく、どのような経験をし、どのようなスキルを持ち、どのような繋がりを持つかといった側面に重きを置くようになるかもしれません。これは、固定的な自己像から、より流動的で、経験や関係性によって常に変化しうる自己への変容を示唆しています。
さらに、シェアリングエコノミーは、新たな共同性の形も生み出しています。プラットフォームを通じて、見知らぬ人同士がモノやサービスを共有し、一時的なコミュニティを形成します。これは、かつてのような血縁や地縁に基づく強固な共同体とは異なる、目的や関心を共有する緩やかなネットワーク型の共同性と言えるでしょう。このような共同性は、ドゥルーズとガタリが論じたような、固定的な領域に縛られない、流動的で多様な繋がり(彼らはこれを「リゾーム」に喩えました)とも通じる部分があるかもしれません。ただし、プラットフォームによる管理や評価システムが、この共同性のあり方をどのように規定し、あるいは歪めているのかといった課題も同時に考慮する必要があります。
未来への示唆と課題
シェアリングエコノミーが示す「所有」から「利用」への価値観の変容は、資源の有効活用、環境負荷の低減、経済的な効率化といったポジティブな側面を持つ一方で、新たな課題も生み出しています。例えば、プラットフォーマーへの権力集中、ギグワーカーと呼ばれる利用提供者の不安定な労働環境、責任の所在の不明確さなどが指摘されています。
現代思想は、このような新しい経済形態や社会構造が、人間の尊厳、公正さ、自由といった普遍的な価値とどのように向き合うべきかについて、問いを立てるための重要な視点を提供します。単に効率性や利便性だけを追求するのではなく、この新しいシステムがもたらす権力構造、労働のあり方、人間関係の変化を批判的に考察し、より人間的で持続可能な未来を築くための羅針盤として、現代思想の知見は不可欠と言えるでしょう。
まとめ
シェアリングエコノミーは、私たちがモノやサービス、さらには自己や他者との関係性に対して抱く価値観の根源的な変容を促す現象です。「所有」から「利用」へのシフトは、消費社会のあり方、アイデンティティの構築、そして共同性の形態に新たな問いを投げかけています。ボードリヤールの消費社会論、バタイユの贈与論、そして自己や共同性に関する現代思想の様々な視点を通して、この変化を多角的に捉え直すことは、現代社会の行方を理解し、より良い未来を構想するために重要な意味を持ちます。私たちは、この新しい経済の波の中で、どのような価値を重んじ、どのような繋がりを築いていくべきか、思想的な問いを立て続ける必要があります。