思想と未来の羅針盤

生成AI時代の「創造性」:現代思想が問い直すオリジナリティの羅針盤

Tags: 生成AI, 創造性, オリジナリティ, 現代思想, テクノロジー

生成AIの登場が問い直す「創造性」と「オリジナリティ」

近年、生成AIの急速な発展は、私たちの社会に様々な変革をもたらしています。文章、画像、音楽、さらにはプログラムコードまで、AIが人間と見紛うばかりのアウトプットを生み出すようになったことで、これまで人間固有のものと考えられてきた「創造性」や「オリジナリティ」といった概念が大きく揺らいでいます。

AIによって生成された作品は、果たして「創造的」と呼べるのでしょうか。そして、そこに「オリジナリティ」は存在するのでしょうか。これらの問いは、単に技術的な問題を議論するだけでなく、人間とは何か、価値とは何か、そして未来の社会や文化はどのように変容していくのかといった、より根源的な問いへと私たちを導きます。

本稿では、この生成AI時代の到来を受け、現代思想の視点から「創造性」と「オリジナリティ」の意味を問い直し、未来におけるそれらの概念のあり方について考察を進めてまいります。

伝統的な創造性概念の変容

西洋における伝統的な「創造性」の概念は、しばしば天才やインスピレーションといった、個人に宿る神秘的な能力と結びつけられてきました。芸術家や思想家といった特定の個人が、ゼロから全く新しいものを生み出すというイメージです。しかし、現代思想は、このような個人中心的な創造性概念に対して問いを投げかけてきました。

例えば、構造主義以降の思想は、個人の創造性よりも、その個人を取り巻く言語、文化、社会構造といったシステムの中に意味や創造性が生まれる基盤があると考えます。作品は、個人の内面から湧き出るものではなく、既存の様々な要素やルール、歴史的な文脈の組み合わせや変奏の中で生まれるものと捉える視点です。

生成AIは、大量の既存データを学習し、そのパターンや関係性を分析した上で、新たな組み合わせや構造を持つアウトプットを生成します。これは、まさに構造主義以降の思想が示唆する、個人に閉じることのない、システムを通じた創造性のあり方と共鳴する部分があると言えるかもしれません。AIは「天才」のようにインスピレーションを待つのではなく、学習データという外部のリソースを基に、アルゴリズム的に「創造的な」出力を行います。この事実は、私たちの「創造性」に対する固定観念を再検討する機会を与えてくれるのです。

「作者の死」と生成AI時代のオリジナリティ

「オリジナリティ」という概念もまた、生成AIによって深く揺さぶられています。私たちは通常、「オリジナリティ」を、特定の個人(作者)に帰属する、他にはない独自性と考えます。しかし、この「作者」の存在やその役割についても、現代思想は批判的に考察してきました。

フランスの思想家ロラン・バルトは、有名なエッセイ「作者の死」の中で、作品の意味や価値は作者の意図によって決定されるのではなく、テキストそのものとそれを読む読者との相互作用によって生まれると論じました。また、ミシェル・フーコーは「作者とは何か?」という問いを立て、近代以降に形成された「作者機能」という社会的な役割やディスクール(言説)のあり方を分析しました。彼らの思想は、作品の「オリジナリティ」が、特定の個人に閉じ込められるものではなく、より開かれた、関係性の中で生成されるものである可能性を示唆しています。

生成AIが生み出すアウトプットは、特定の人間によるオリジナリティではなく、学習データという集合的な知や表現の蓄積から生成されます。そこには明確な唯一の「作者」が存在しません。これは、バルトやフーコーが提起した「作者の死」という考え方を、文字通り技術的な側面から現実のものとするようにも見えます。AIによる生成物が持つ独自性は、伝統的な「個人のオリジナリティ」とは異なる性質を持つ可能性があり、私たちはその新しい形の「オリジナリティ」あるいは「非オリジナリティ」とどう向き合うべきか、問い直す必要に迫られています。

生成AIが突きつける価値評価と制度の課題

生成AIが「創造的」で「オリジナリティのある」ように見えるアウトプットを容易に生み出すようになったことは、著作権制度やクリエイティブ産業における価値評価のあり方にも大きな課題を突きつけています。誰が「作者」なのか、著作権は誰に帰属するのか、そしてその価値はどのように測られるべきなのか、といった問題が顕在化しています。

また、生成AIは既存の作品を学習するため、結果として既存のスタイルや表現を模倣したり、時には強く参照したりすることがあります。これは、古くから哲学が扱ってきた「模倣(ミメーシス)」の問題とも繋がります。プラトンは模倣を現実の不完全なコピーとして否定的に捉えましたが、アリストテレスは学びや創造の根源に模倣を見出しました。生成AIによる模倣は、創造的なプロセスの一部としてどのように位置づけられるべきか、模倣と創造の境界線はどこにあるのか、といった議論が求められています。

生成AIは、創造的な活動を効率化し、新たな表現の可能性を広げる一方で、オリジナリティの希少性を相対化し、伝統的なクリエイティブワークの価値を問い直しています。私たちは、生成AIが生み出す価値をどのように評価し、それに適した社会制度をどのように構築していくのか、という課題に直面しています。

未来へ向けた「創造性」と「オリジナリティ」の再定義

生成AIの時代において、「創造性」や「オリジナリティ」は、もはや個人に閉じた唯一無二のものではなく、データ、アルゴリズム、文脈、そして複数の主体(人間とAIを含む)との相互作用の中で生まれる、より流動的で関係性の中で立ち現れるものへと変容していく可能性があります。

この変容の中で、人間が「創造的」であることの意味は、単に新しいものをゼロから生み出すことだけでなく、既存の要素を組み合わせ、編集し、新たな文脈を与える能力や、AIが生み出したアウトプットを評価し、キュレーションする能力、あるいはそもそもAIにはできない独自の問いを立てる能力などにシフトしていくかもしれません。

生成AIは、「人間とは何か」「創造性とは何か」といった問いを改めて私たちに突きつけています。現代思想が解体してきた伝統的な概念の先に、AIとの共存の中で形作られる新たな「創造性」と「オリジナリティ」のあり方を模索していくことが、未来の価値観を読み解く上で重要な羅針盤となるでしょう。この技術革新の波は、私たち自身の存在や社会の構造について深く考え直す機会を与えているのです。